感情パズル
かんじょう ぱずる
俺、乾貞治は、最近ひとつ年下の海堂薫と、晴れて恋人同士になった。
海堂は努力家で優秀で、ついでにちょっと無口で無愛想なテニス部の後輩だ。
海堂は男で、俺も男。
そんなわけだから、俺と海堂が両想いになるまでに、ドラマがなかったとは言わない。
しかし海堂とのことはリスクの大きいから、狡猾な俺は両想いである確率が90%以上、親密度は不動の1位になるまで地道にポイントを稼いだ。
だから想いを打ち明けてからは順調に付き合いだしたし、うまくいく……はずだったのだが。
「海堂。今日うちに寄って行かないか?
海堂の参考になりそうなプロの試合のビデオがあるんだけど」
「あ……俺、今日はちょっと。……すみません」
学校からの帰り道、俺は海堂を家に誘った。
しかし海堂は、俯いて歯切れ悪く拒否する。
実はこのところ、ずっとこんな調子で、海堂は俺の誘いを断っているのだ。
『このところ』というか、正確には付き合いだしてからだ。
付き合いだしてから付き合いが悪くなるなんて、どう考えてもおかしい。
曖昧な関係だった頃は、俺が誘えば海堂はいつもついて来たのに。
こんなことは予想もしていなかったから、いい加減俺も煮詰まってきている。
まるで初めからピースの足りないパズルを、それでもなんとかしようとやっているみたいだ。
「待てよ、海堂」
足早に去ろうとするのを呼び止めると、海堂はビクッと肩を振るわせた。
……多少不機嫌な声であったことは認めるが、恐がらせるような声は出していないつもりだ。
海堂に何か後ろめたいことがある証拠ととっていいだろう。
俺の眉間に、まるで手塚のような皺がよっているのが判る。
「お前、俺を避けてないか?」
周りが暗く、人通りもない河原だということを考慮に入れて話した。
いきなり核心に踏み込むのは自分らしくないとは判っているが、こればかりはしょうがない。
海堂の様子が変だと気付いたのは、昨日今日じゃないんだ。
俺だって海堂がおかしい理由に、ある程度の予測はつけている。
こわごわ振り返る海堂に、俺は続けた。
「嫌だったか。……本当は俺に想われていると知って、気持ち悪かったか。無理して付き合っているのか?」
最も直視したくないことだった。
だからすぐに答えは出せなかった――出したくなかったのだ。
けれど、それ以外に避けられる理由は考えられない。
俺は海堂と両想いである確率が90%以上だと分析したが、それは表面的なことを総合的に考えてみただけに過ぎない。
だからその確率に、100%はありえない。
相手は人間で、心の中までは覗けないからだ。
しかしその90という数字でさえ、言わば机上の空論。
いつ0になってもおかしくはない――それどころか、その数字の存在も本当は……信じるに値するものではない。
ただの慰めなのだ。
「気付いてたか? お前、俺が告白してから触らせてもくれないんだぞ」
以前から海堂は人に触れられるのを嫌がる傾向があった。
しかし、俺にだけは違っていたんだ。
頭をくしゃくしゃっと触っても、背中や腕をぽんと叩いても、嫌がりはしなかった。
それなのに、最近はそういった他愛無いスキンシップも避けられている。
「ち、違う。 俺……俺は、」
「何が違うって言うんだ!」
海堂の弱々しい否定にも憤りを感じる。
本当に違うというのなら、俺が納得するだけの理由を言ってほしい。
「同情や打算で付き合ってほしいわけじゃない」
慣れ親しんだ人を振れないだとか、コーチ役がいなくなってしまうのは困るという考えで一緒にいてくれているんじゃないか――という考えが頭を掠める。
その時だった。
一呼吸の間を置いて、海堂の拳が俺を左頬を殴った。
「ふざけんな! 俺をなめんじゃねぇ!!」
ガッと鈍い音がして、気が付くと、俺はさっきまで見下ろしていた海堂を見上げていた。
頬が痛い。
左手にも、少し痛みがある。
殴られた勢いで、俺は尻餅をついてしまったようだ、と、こんな状況下でもどこかで冷静な俺が分析していた。
「……海堂?」
海堂は泣きそうだった。
――俺の方が泣きたい場面じゃないのか?
なのにどうして。
「俺が、俺がそんなことでっ……もういい!」
「ま、待ってくれ、海堂!」
咄嗟に身を起こして、海堂の腕を引く。
嫌がってまた殴られるかと思ったが、それはなかった。
俺は海堂のプライドを傷つけてしまった。
海堂は打算なんかで付き合ったりする奴じゃない。だから謝りたい。
そんな気持ちもあったが、殴られて気付いた可能性に賭けてみたいという気持ちの方が強く働いていた。
「俺が嫌なわけじゃないんだな?」
地面を睨んでいる海堂に問う。
「……俺、本当に嫌じゃねぇっす。そんなんじゃねぇ」
海堂はちらちらと俺を見ながら赤くなって言った。
俺は溜まっていた不安を声に出し、海堂に殴られたことで落ち着いていた。
煮詰まった頭で考えるもんじゃない。
もう一つの可能性をすっかり忘れていた。
けれどそれはあまりにも俺に美味しすぎる。
しかしこんな目で海堂にみられると……
そんな目をされたら気があると勘違いされるぞ、と注意してやりたいくらいだ。
俺を見る海堂の目は、とても俺が嫌いとは思えない。
「だ、だから……あんたとその、」
「その?」
海堂の言葉を即すつもりでオウム返しする。
「あんた、あの時すぐ俺に……キ、キ……だ、だから、俺だって気になって」
海堂は話しながら自分の口に手をやり、唇に触れた。
そんな癖はないはずで、俺には思い当たる節がある。
「考えちまうじゃねぇか!」
海堂は明確な表現をすることもなく、切れた。
顔は真っ赤だ。
「……海堂。俺はお前からの少ない情報を元に、ひとつ仮説を立ててみた。聞いてくれ」
海堂が頷くのをみて、俺は喋り出した。
先程の海堂の動作と言葉から、もう一つの可能性
――この仮説――が当たっている自信が出てきたのだ。
「海堂は俺に好きだと言われて嫌じゃなかった。それどころか、自分もそう想っていて嬉しかった。
けれど、想いが通じ合ったところで、いきなり俺にキスされそうになって驚いた」
そう。
俺は海堂に告白した後、キスしそうになった。
けれど慌てる海堂をみて、思いとどまった。
初めから飛ばしすぎてはいけない。
せっかく手に入ったんだから、嫌われないようにゆっくり進展させていけばいい――と、そう思って自粛したのだ。
「想っていただけで具体的なことまで考えていなかった海堂は、以来キスが気になって仕方ない。
だから俺を意識しすぎてうまく接することもできず、二人きりになってしまうとなおさら意識してしまいそうで、そういう状況を避けていた。
けれど、このままでは俺に嫌われてしまうんじゃないかと、夜な夜な枕を噛んでは声を殺して泣いている」
「枕を噛んで泣いてはいねぇ!」
「じゃあ、それ以外はあたってるんだ」
予想外の展開だ。
最後の一文はほんのジョーク――というか願望だったのに、『このままでは嫌われてしまうかも』という自覚もあったのか。
「――ッ! このヤロウ!」
海堂は毒付いたが、俺の言葉を否定することはなかった。
そんなことが、嬉しくて仕方ないなんて。
「それが惚れてる奴に向かっていう言葉か?まったく、どうしようもなくシャイだね、海堂は」
俺にはそれが可愛くてしょうがないなんて、知らないんだろうな。
「でもよかった。海堂に嫌われたかと思ったよ」
「……すみません」
俺の勘違いでよかった。
本当に良かった。
でもこれ以上、同じ状況が続いては敵わない。
それならあの時、少々強引でも奪っておけばよかったな、とちょっと後悔した。
「原因は判った。だったら早いところ、そのモヤモヤを取り除いてしまおう」
「――あ?」
俺は不信そうな海堂の腕をぐっと引いて、その身を腕の中に治めた。
綺麗な顔のラインを撫でてから、おもむろに上を向かせる。
なんて魅力的な唇だろう。
この唇に、ずっと触れたかった。
「――――ッん!」
熱を持った、柔らかな感触。
数字より確かに存在する感覚。
かすかに震える海堂の唇に、愛しさを感じる。
「……どう? しちゃったから、これでもう気にしなくて済むだろう?」
一応外なので、その気になってしまっても困るから、長くならないうちに切り上げたのだが、海堂には十分だったようだ。
「な、な、な、――そういう問題じゃねぇだろ、この変態ッ!」
と言いながらも、俺の腕から抜け出すこともできないらしい。
「ひどいな。……ところで、海堂はどう考えてもファーストキスだよね?」
あんなにキスを意識してたんだから、それ以外ありえないだろうと思いつつ、確認する。
答えは
「バカか、あんたはッ!」
だった。
否定しないところをみると、やはりそうなのだろう。
海堂の場合、きっぱり答えない時は大抵当たっているが、答えたくない時だ。
「バカでいいさ。海堂のファーストキスが貰えたんなら」
機嫌よく言うと、俺はまた海堂に殴られた。
なんて痛みだろう。
海堂の側にいると、俺はいつでも数字より確かなものを感じられる。
海堂は確実に、俺に欠けているピースを持っていると思った。
この先もずっとこうだといい。
海堂と一緒にいたい。
一緒にいて、俺の足りない部分を補ってほしい。
――ああでも、あまり殴られたくはないかな。
肩をいからせて歩く海堂を追い駆けながら、もう一度誘ったら、今度こそ部屋に来てくれるだろうかと考えた。
2003/11/23
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