部屋に響くのは時を刻む音とお互いの呼吸音。
ふと計算式を書く手を止め、向かいに座る後輩を盗み見た。几帳面な文字で教科書の問いをノートに書き写している最中で、勿論下を向いているのだから視線が合うことはない。後輩の集中力や一途さは解っているつもりだが、やはり寂しいものが込み上げてくる。
グラスに残っていた烏龍茶を全て呷り、後輩に聞こえるよう、わざと大きな溜息を吐いた。
「‥‥‥‥‥。」
反応なし。
文字を書く手も止まらない。氷を口に含み、ガリガリと噛み砕いた。
「‥‥‥‥‥。」
反応なし。
普段なら行儀悪いと注意する筈なのに。無視する気だな?そっちがそう来るなら俺は何が何でも顔を上げさせてやる。あぐらをかいでいた足を伸ばし、後輩の足に軽く触れた。ピクリ、と肩が揺れた。面白い。机に頬杖をつき、何食わぬ顔で足の指で後輩の脛を撫ぜ上げる。
「‥‥っ!」
お、反応あり。
反応しまいと必死にノートを睨み付けている姿も可愛くてイイけど、やっぱりちゃんと顔が見たいな。自分の長い足を目一杯伸ばしてハーフパンツの裾を捲り上げた。
「〜〜〜っ!こんのセクハラ親父っっ!!」
恐ろしい速さで手が飛んできた。すぱーん、と小気味良い音が響く。鈍い痛みが走る頭を押さえて後輩を見れば、右手には教科書。
「い‥‥った‥、海堂お前今本気だったろ。馬鹿になったらどうしてくれるんだ?」
「手ェ出してきたのはどっちだよ?俺は悪くない。」
「手じゃなくて足だけどね。」
「挙げ足取んな!」
やっぱりこうやって顔を合わせた方がずっといい。
へらへらと笑っていたらまた叩かれそうになったから今度こそ避けた。
「ちっ‥」
ちっ、て‥仮にも恋人を邪険に扱うなよ。
「‥だったらもう少しまともに接してください。」
「え、俺言ってた?」
無意識に呟いていたのだろうか、ときいてみるが海堂は首を振って否定した。
では何故、と首を傾げると海堂も同じ方向に首を傾げて俺と目線を合わせた。
「あんた、以外と解りやすいっスよ?」
眉毛の動きとか雰囲気を見れば幼さが垣間見れる。きょとんとして言うものだから始末に終えない。その仕草は俺には核兵器並の威力を発するといい加減気付いてほしいような、そのままでいてほしいような複雑な気分に陥る。
「そうかな‥?」
「そうっス。」
愛故だね、と思った瞬間。第三段が飛んできた。
「ちょっ、海堂!」
「だからっ!解りやすいんだよあんたはっ!!」
手を伸ばし俺の両頬をびにょんと引っ張る。顔は背けながら瞳だけは俺を射る。
「‥にやけてたっス!」
あー、なるほどなるほど。この正直過ぎる頬が教えてたのか。
「いひゃいよひゃいひょう‥」
「あんた何言ってるか解んねぇよ。」
まったくほんとに。こんな時ばっか楽しそうに笑うんだから。海堂には勝てないよ。
手を挙げて降参すると、頬を引っ張っていた手でいきなり顔を引き寄せられた。
目の前には海堂のアップ。
「‥‥‥かい、ど‥?」
初めての海堂からのキスに茫然とするしかない。そんな俺を見て海堂は満足そうに笑った。
「続きは、また後でっスよ。」
「え、え?何?何処行くんだ?」
さっと自分の勉強道具をまとめると立ち上がる海堂に慌てて問い掛ける。
「リビング借ります。あんた居ると集中出来ないんで。」
「ゴメン。謝るから‥」
「一時間くらいしたら終わるっスから。そしたら、」
ドアノブに手を掛け言葉を切る。そしたら、何なんだ?
「す、好きに‥すりゃあいい‥!」
ドアが派手な音を立てて開閉した。あまりの出来事に俺は硬直してしまう。だって、あの海堂があんな事言ったんだよ?嬉しすぎて勉強に手が付かなさそうなんですけど。
「逆効果だよ、海堂‥」
部屋を出ていく時の照れた顔を思い出して笑った。きっと今の俺は海堂くらい赤くなってるだろう。
少し熱を冷ましてから勉強に取り掛かろう。一時間後に君は戻ってきてくれるんだろう?
部屋に響くのは時を刻む、至福の音。
END
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