久保田さんの報われない両想い
 


前々から感じてはいたのだ。



雲行きの怪しさと空気の重さは十二分に感じていたので、油断していたと言われればそれまでだ。
その日、家から徒歩三分の某コンビニエンスストアで所用(時任のハマっているチョコ菓子と牛乳の購入)を終え、店から出たとき、
二人の眼前にはバケツを引っ繰り返したような土砂降りの雨模様が広がっていた。
何故傘を持ってこなかったのか。
それは、雨が降る前に戻るつもりだったから。
油断、過信、後悔先に立たず。
レジに戻り、傘を買うという選択肢はない。
なんせ、徒歩3分の距離。
そのためだけに傘を買うことはできない。
二人は顔を見合わせた。
久保田は肩を竦め、時任は眉間に皺を寄せた。
ビニール袋の口を縛り、腕に抱え込む。
濡れても支障のない買い物ではあったが、わざわざ濡らすこともない。
二人は同時に走り出した。
走れば三分もかからないが、一歩踏み出す毎に叩き付ける大量の雨水は二人を一秒とかからずずぶ濡れにした。
マンションのエントランスに辿り着き、己の有様を見下ろした久保田は、濡れ鼠ってこーゆーことを言うんだろうなぁ、と、客観的に評した。
濡れていないところがどこにもない。
眼鏡に付着した水滴のせいで視界も濡れている。
乱暴に指でレンズを拭うと、多少マシになった視界で時任を見た。
全力で走った為か、膝に手を付いて大きく肩を上下させている。
その有様は久保田と大差ない。
髪の毛から爪先まで余すところなく水が滴っている。
剥きだしの首筋を雨水が幾筋も流れ、透けたワイシャツに吸い込まれるのを不自由な視界で久保田は眺めた。
視線に気づいたのか、時任が目線を上げた。
瞬きの度に長い睫毛が水滴を弾いて震える。
濡れた額やこめかみに張り付いた黒髪が、いつもと違う彼の雰囲気を増長していた。
普段は元気いっぱいで、俺様で、ガサツで、色っぽさなんて欠片も見せない癖に。
「豪快に濡れたね」
「何で傘持ってこなかったんだよ」
「いらないって言ったの、時任じゃない」
「久保ちゃんが近麻読み始めるとは思わなかったからだッ」
「止めずに横でジャンプ立ち読みしてたのは誰かねぇ」
稚拙な責任の擦り付け合いをしながら、エレベーターに乗り、部屋へと戻る。
短夜の候、冷たくはないが、水浴びをしたい季節でもない。
「早くシャワー浴びないとね。風邪ひいちゃうかも」
「久保ちゃん先でいーぜ。俺、寒くねーし、拭きゃ平気だよ」
「そうは言ってもねぇ、お前が風邪引いたら困るし」
ポケットから鍵を取り出し(鍵まで濡れていた)鍵穴に差し込んで回す。
金属が軽く擦れあう音がして、錠が開く。
「一緒に入って」
肌色が透けた彼のワイシャツにちらりと視線を落とす。
「裸で温めあう?」
「野郎同士でねーよ」
即答だった。
ドアを開け、さっさと部屋に入る時任。
まぁ、だよねぇ。
等と適当に相槌を打つも、野郎である時任に対してたぎる欲情を自覚していた久保田は、軽い衝撃を感じでよろめいた。
軽い衝撃。
より適切な表現をすれば、ショックを受けて、だ。
そんな久保田にバスタオルを投げつけた時任は、久保田が自分の一言にショックを受けているなどと夢にも思っていないだろう。
野郎同士はないか。そうか。
まぁ、そりゃそーか。
それが普通だ。
久保田は納得した。
だが、諦めはしなかった。
野郎同士だから、等という有り触れた理由で引き下がれるような単純な感情を胸にぶら下げている訳ではないのだ。
たまに見せる色気のように、自分への想いを欠片でもいい、その表情に見付けたい。
以来久保田はめげることなく、ことあるごとにセクハラ紛いの言動を繰り返した。
あくまで紛い、ではあり、からかい以外にはとられないニュアンスでだ。
時任の反応は、久保田にからかい以上の行為を許さなかった。
しかし。




時は流れ一年後の、入梅。
ソファーに深く腰掛け、ゲームに夢中になっている時任の後頭部を何とはなしに眺めていた久保田は、ポケットから携帯を取り出した。
時間を確認する。
そろそろ、バイトへ行く時間だった。
時任の後頭部を見ているだけの仕事があればいいのにねぇ、なんて戯けた事を考えながらやる気なく立ち上がる。
「そろそろバイト」
「おー」
「鍵掛けてねー」
「えー……」
期待して言った訳ではない。
だが、玄関へと向かう久保田の背中からぺたぺたと裸足の足音が続くのが聞こえた。
丁度、ゲームがセーブポイントだったのだろう。
「気ぃつけてな」
珍しく見送りをしてくれた時任に、久保田はつい、ついと言っても自覚的にだが、
「行ってらっしゃいのキスしてよ」
そう言って、顔を寄せた。
声音は何時ものような冗談を言うものだったが、時任を見つめる目には本気の色を滲ませた。
つもりだ。
時任は顔をしかめた。
「馬鹿なこと言ってねーで、さっさと行ってこい」
……ん?
押し出される体。
無情にも閉まるドア。
ガチャリと冷たく施錠される音。
どんなに見つめてもその扉が再び開くことはなく、扉の向こうの想い人は恐らくもうゲームの世界に戻っているだろう。
変わらない久保田の言動と、
変わらない時任の反応。
一年前と違うのは、二人は恋しい想いを伝え合った恋人同士だということ。





キスをしようとするとさり気なく避けられている。
久保田はその事に気づいていた。
触るのは平気。
好きだと囁けば可愛く頬を染めてくれる。
なのにキスが駄目な理由が久保田には分からない。
ましてや、セックスなんてもっての他だろう。
久保田はこのまま時任と清い関係でいる気は一切なかった。
無理強いをしたくないというだけで。
キスをしてセックスをすることだけが恋人ではない。
とはいえ。
「時任、風呂」
寝室のドアを開け、ベッドに寝転んで漫画雑誌を読み耽る時任の背中に声を掛けた。
「おー」
漫画雑誌から顔を上げ、振り返った時任は久保田を見るなり思い切り呆れた表情を浮かべる。
「服着ろっつーの。裸族かてめぇは」
腰のタオル一つを身に着けた久保田は、手に持ったふやけた雑誌で己の肩を軽く叩いた。
「まぁまぁ、俺とお前しか居ないんだし」
梅雨の合間、季節外れの熱帯夜。
風呂上りに服を着るのが鬱陶しかっただけだ。
他意はない。
男二人暮らし。お互いの裸なんてそこそこ見慣れている。
時任もそれ以上言葉を重ねることもなく、ぷいっと顔を背けて漫画雑誌の中の世界に戻る。
久保田も本当に風呂から上がり立てで、まだ髪が水分を含んで肌に張り付いているような状態だったので、
髪を乾かし服を着るため、洗面所へ戻ろうとした。
だが、ベッドに寝そべりこちらに完全に背を向けている時任の後ろ姿。
の、腰から尻にかけてのライン。
小ぶりだが形の良い臀部。
捲れたシャツから除く背骨の凹凸。
見慣れていても、思わず目に止まるそれらに久保田は反応した。
有体に言えばムラムラしたのである。
閉じかけたドアを開いてそっとベッドに近付いた久保田は、接近に気づかない時任の背中に裸で抱き着いた。
驚いた時任が身を捩るのを抑え付けるようにして伸し掛かる。
時任の身動ぎに腰に巻いたタオルが解けて落ちたが、気にはならない。
ワイシャツ越しに体温が伝わる。
普段よりも、密に。
布一つ分の隔たりだからか。
肌が纏う水分のためか。
腕にぎゅっと力を込める。
その時。小さく、しかし確かに
「げっ」
と漏らした声が聞こえた。
声の主は、時任。
久保田は傷付いた。
大いに傷付いた。
「げっ」て。
照れて抵抗しているならまだしも、「げっ」て。
しかも、割と本気で嫌そう。
想いを伝える前ならまだしも、今はれっきとした恋人同士だ。
裸でイチャイチャしてその結果、元気になった息子が暴走したところで「げっ」等と言われる筋合いはない。
腕の中の体を解放すると、久保田はベッドの上で居ずまいを正した。
裸で。
「時任」
「な、なんだよ」
体を起こした時任も、釣られて正座になる。
ベッドの上に正座で向かい合う男が二人。
一人は全裸だ。
久保田は至極真面目に問いかけた。
裸で。
「時任、俺のことどう思ってる?」
「どうって……」
「好き?」
「聞くなよ馬鹿」
「言ってよ」
言外の切実さを嗅ぎ取ったのか、
「……好き」
か細い言葉がその薄い唇から溢れた。
言った時任は目元を赤く染め、恥じらうように俯いた。
素晴らしい。良好な反応だ。これぞあるべき姿だろう。
何時になく恋人らしい、良い雰囲気だ。
「俺達の関係は?」
「恋人だろ」
「だよね」
俯いた顔にゆっくりと顔を近付ける。
顔を覗き込むようにして、もう少しで唇が触れ合う、そんな距離まで近づいて。
頭突きされた。
ぶつかったのは唇ではなく、額同士。
鈍い痛みが広がるが、痛いのは頭ではない。心だ。
世の中全ての恋人がセックスをしている訳ではない。
愛を確かめる手段も、キスやセックスが全てという訳ではない。
けれど、好きだからこそキスをして、触れ合って、繋がりたい。
好きだからこそ。
「時任」
頭突きをかましたことを流石に悪いと思ったのか、バツが悪そうな顔をしていた時任は
名前を呼ばれてびくりと体を揺らした。
そんな時任に追い打ちをかけるように、
「キスがしたい」
もう隠すことなく己の欲求を言葉にしてぶつけた。
「はぁッ!?」
まさか久保田がそんな直球な言葉を投げて寄越すとは思わなかったのだろう、
「何いッ」
一瞬で顔を真っ赤に染め上げると慌てたように声を上げたが、
「真面目に」
いつになく真剣な久保田の面持ちに、顔を赤くしたまま言葉を飲み込んだ。
「セックスもしたい」
「お、おう」
「エッチなこと全般がやりたいんだけど」
「……」
直球にも程がある久保田に、思わず黙り込む。
時任のその様子に、久保田は細く息を吐いた。
「時任は嫌なんだよね」
「嫌っていうか……」
叱られた猫のように身を竦め、ベッドのシーツを握りしめ、時任はぽつりと呟いた。
「久保ちゃんは嫌じゃない」
珍しく慎重に言葉を重ねる。
「久保ちゃんに触られるのも嫌じゃない」
思わず手が伸びそうになって、ぐっと拳を握る(久保田は割とギリギリだった)。
「ただ……何か、上手く言えねぇけどさ……」
出てこない言葉を探すように視線を泳がせ、俯き、最終的には久保田の目をひたりと見つめ、
瞳に写る自分自身から真実を引きずり出すように、ゆっくりと言葉にした。
「すっげぇ、悪ぃことしてるような気がすんだ」
その答えは、久保田にとって意外なものだった。
神なんて居ないし要らないと言い切る彼の、罪悪感。
何に?
……誰に?
「……男同士だから?」
「それはそうなんだけど、んなこと言ったって野郎でも久保ちゃんのこと好きだし」
「好き?」
「好き」
もっとその言葉を聞きたくて、もう一度、好き?と言葉を重ねそうになったが、ぐっと堪える。
話が進まないし、何よりあんまりやると「好き」ではなくて拳を貰いそうだ。
「何なんだろうな、ホント。それさえなけりゃ……」
時任が久保田を見た。
その視線は久保田を求めているように感じた。
自分の身勝手な錯覚かもしれない。しかし久保田は決意した。
「練習しようか」
「……何の?」
「先ずはキスのかな」
指でそっと目の前の唇に触れる。
やわらかな感触。
指ではなく己の唇で触れる時が来るまでに、何度となく拒まれるかもしれない。
時任にも訳の分からない罪悪感とやらで。
その度に、無様に傷ついて、馬鹿みたいにショックを受けて、それでも諦めない。
往生際の悪さで負ける気は久保田にはなかった。
「罪悪感なんて感じなくなるくらい、いっぱい、ね」
「そんな上手い事いくかぁ」
久保田の提案自体を拒むことはしなかった時任が、戸惑いと、疑心と、
羞恥を多分に含んだ声を上げた。
久保田は笑う。
「いってもらわないと。俺が無理矢理押し倒しちゃわない内にねぇ」
なんて、それが出来たらこんな苦労はしていない。
出来ない理由なんてそれこそ惚れた弱味でしかない。
久保田の初めての両想いは、前途多難に始まった。



後書き
ミナセさん10周年おめでとうございます!!!
日ごろお世話になってる上に「お願いじゃないから」なんて言われちゃ、
進呈せざるを得ません(あれ、デジャヴ)
タイトルはああですが、久保たんは報われ過ぎだと思います。



10周年のお祝いありがとう!!!
いやいや、お願いじゃないからって言う時程めっちゃお願い
だから!(ん、デジャヴ)
それなのに…早々にいただいてたのにアップが遅くなって
申し訳ございません。

もう今回のポイントは全裸で正座だね★
ここ笑うトコロで間違いないよね?
でも時任も正座してると思うと可愛くて仕方ないんですが。
そしてなんだかんだ言っても報われてる久保田の眼鏡を、
私はやっぱり割ってやりたいと思うのです。
アイツしっかり愛されちゃってるじゃん…。
だって両想いじゃん…。









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